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新人教育 岩登り

 投稿者:技術部より  投稿日:2017年 6月 5日(月)20時01分1秒
  6月7日(水)は新人教育・岩登りです。
19時30分から、講師は勅使河原さん
宜しくお願いします。
 
 

清掃登山

 投稿者:かわ  投稿日:2017年 5月27日(土)13時14分18秒
  雨で中止となりましたが、地区の清掃をしてきました。
地元の方の案内で、小学校のみなさんと一緒に歴史探訪コースを歩きました。何度か清掃登山に参加していますが、ルートもお話も新鮮で楽しかったです?

来年は晴れるますように(^-^)/
伊藤さん、お疲れ様でした。
 

総会用資料

 投稿者:八木ちゃん  投稿日:2017年 5月25日(木)14時54分22秒
  書庫に2017年度総会資料のフォルダにまとめた山行報告書を入れておきましたのでよろしくお願いします。

http://fifabakutyouou.cocolog-nifty.com/nikkousannsou/2017/01/2017-b818.html#more

 

エベレスト日記 5/21

 投稿者:7 weeks in Tibet  投稿日:2017年 5月23日(火)02時01分46秒
  小雨。カトマンズのホテルで朝食を取っていると、さらさらと雨の音がなんて優しいことか。ゆるやかに僕たちを包む白銀色の粒子に癒される。雨は地球の恵みだと実感した。
小牧さんは凍傷で指先が不自由なため、パスポートや財布の出し入れからトイレでのジッパーの開け閉めを手伝う。空港への途中、小牧さんはアン・テンバの病院に寄って脳のMRI写真をもらっていた。空港では、記念にABCから持ち帰ってきた石が危険だからと空港職員に取り上げられそうになったが、長々と説明して機内に持ち込むことができた。
 

エベレスト日記 5/20

 投稿者:7 weeks in Tibet  投稿日:2017年 5月23日(火)01時45分48秒
編集済
  BCを出てカトマンズへ。お世話になったチベット人達とハグして別れ、ジープに乗って診療所のあるティンリを目指す。アン・テンバはぐったりして体に力が入らず座席に座っていられないため、クルマの後部座席の真ん中に乗せ、私とディネッシュが左右から支える様にした。小牧さんが診療所で注射器をもらい、デキサメタゾンをアン・テンバに注射する。その後の国境までのクルマの中では、ずっとテンバの体を支えながら勇気づける言葉をかけ続けた。国境を越える際には、重体患者がいるためか手続きが早く済んで助かった。
カトマンズに着くとすぐに私立病院に行き、アン・テンバのMRI検査を行った。待ち時間に上小牧さんが「足が痛いかも」というのでブーツを脱ぐと、足の指も凍傷を負っていることが分かった。飛行機のチケットを予約し、明日の便で飛べることとなった。登頂後はトラブル続きでお祝いする雰囲気ではなかったが、夜はレストランで久しぶりにビールで乾杯した。
車窓からのチベット高原にはうっすら緑の草が生えてきており、凍っていた川にも水が流れていた。まるで月面の様だった入山時とは変わって生命の兆しが感じられて心が和らぐ。ネパールに入ると子供が川で水浴びをして遊んでおり、昨日までとのあまりのギャップに不思議な気持ちになった。
 

エベレスト日記 5/19

 投稿者:7 weeks in Tibet  投稿日:2017年 5月23日(火)01時41分24秒
  凍傷を負った上小牧さんと、アン・テンバを下ろすため、すぐにBCに移動。アン・テンバはチベット人2名が交代で背中におぶって下した。BCではディネッシュがカトマンズへの移動のためのジープを緊急で手配し、明日カトマンズへ行ける様に手配してくれた。  

走って体力作り

 投稿者:9g  投稿日:2017年 5月22日(月)23時25分17秒
  皆さま、お世話になっております。9gです。
今年のラン大会出場スケジュールが決まりましたので、下記に書いておきます。
都合がつく方は御一緒しましょう。

7月2日 日光ウルトラマラソン 62.195㎞(エントリー締切済)
9月24日 城内坂ウルトラマラソン 100㎞(エントリー募集中)
10月29日 宇都宮トレイルラン 17㎞(エントリー募集中)
11月3日 那須塩原ハーフマラソン 21.0975㎞(6月5日からエントリー開始)
11月23日 大田原マラソン 42.195㎞(6月4日からエントリー開始)

城内坂100㎞には、新人のアツシくんがエントリー済み!
宇都宮トレイルランもソネさんを始め多く渓嶺会員の参加が想定されています。

皆さま、体力作りの一環で是非一緒に走りましょう!
宇都宮トレイルラン後にはアフターパーティーもありますので、
興味のある方は、お申込お忘れなきように。

トレイルランの練習も随時募集中。興味ある方は9gまで御連絡ください。
 

エベレスト日記 5/18

 投稿者:7 weeks in Tibet  投稿日:2017年 5月22日(月)00時22分50秒
編集済
  早朝、残りの酸素ボンベが3本しかないため、4人のうちだれか1名が無酸素で先にC2に下りることとした。8000m以上の高度を無酸素で一人行動になるため、比較的余裕のあるメンバーとして北嶋さんが先に下りてC2で待つことになった。アン・テンバはシェルパたちに担がれて下りてきていた。どうやら高所障害にかかっているらしく、自力で歩くことができない。他隊のシェルパも手伝ってくれて、急いで下すことになった。
私たち3名もしばらくしてC2に下りる。C2からC1までの斜面ではガスがかかり視界が効かない中を下ったが、いくら下りてもC1につかない気がした。やっとC1にたどり着き、エスパースの入り口を開けるためにアイゼンを外そうとしてヒールベイルに力を入れた時だ。アイゼンの連結部が折れた。予想していなかったため何が起こったのか一瞬理解できなかったが、歩行中でなくて良かったとほっとして座り込んだ。その後少しして、母が守ってくれたのではないかと考えて泣き出してしまった。ほんの少し前に、数時間前に壊れたら、8000?で動けなくなっていたところだった。本当に危ないところだった。C1からABCまではシェルパのアイゼンを借りて下り、ABCに下りてから事務局に登頂時の写真をメールで送った。少しでもきれいな画像を送ろうと思い圧縮を抑えたら、写真1枚を送るのに10分くらいかかった。小牧さんが下りてきて、凍傷を負った指を人肌のお湯で温めた。
 

エベレスト日記 5/17③

 投稿者:7 weeks in Tibet  投稿日:2017年 5月19日(金)23時56分17秒
  下山にかかると、小牧さんの2本目の酸素が空になり、チェダーが自分の酸素を上小牧さんに渡してチェダーは無酸素で降りることになった。酸素は約250気圧入りの4リットルを一人2本。毎分2リットル吸うと、16時間半で無くなってしまう。山頂を降りはじめる時に、出発から14時間以上経っていた。下山時は流量を減らすとしても、酸素にあまり余裕がない状況。さらに小牧さんは手に凍傷を負ってロープの掛け替えに苦労していた。シェルパの提案で、シェルパの皆で小牧さんをサポートし、余裕のあるメンバーは先に降りることに。下山途中では、ルートの脇に座った人が居ると思ったら、それは数年間座ったままの遺体だった。登るときには全く気づかなかった。登るときには本当に余裕がなかったことを実感した。C3に戻ったのは、ちょうど17時。出発から19時間後だった。本当はもうひとつ下のキャンプに降りる予定だったのだが、今日は時間切れ。8200mで予定外のもう一晩を過ごすことになってしまった。残った酸素ボンベを調べると、新品が2本、90気圧くらい入ったものが2本しかない。90気圧1本で何とか夜を過ごし、残りの3本で次の日に降りることにした。下りとは言え、一人は8200から無酸素で行動しなければならない。そのうち、アン・テンバが下りてこないという話になった。シェルパたちは、日本人は休んでくれとのことで、私たちも余裕がなく休むことにした。夜はスパイダーで毎分0.5Lを分けて寝たが、やはり息苦しくて良く眠れなかった。  

エベレスト日記 5/17②

 投稿者:7 weeks in Tibet  投稿日:2017年 5月19日(金)01時53分7秒
  セカンドステップの上は、比較的ゆるい斜面を登って行く。円藤さんははるか先を歩いている。少し歩いたところで、小牧さんが、手に凍傷を負っていることに気づいた。凍傷で指がカチカチ鳴る、俺はいい、ここで下りるからと言う。北嶋さんもどうしようか迷ったようだったが、テンバのもう少しだから行こう、と励ましで山頂を目指すことにする。三角雪田が近づいてきたところですれ違ったシェルパが、僕に酸素が出ているか?と言ってきた。酸素マスクのチューブについている酸素の流量を示すインジケータが少ししか動いていないのだ。酸素がなくなったかな?と思ってボンベを付け替えて、流量調節器を毎分2リットルにしてみても、インジケータはほとんど動かない。もしこの高度で流量調節器が故障して無酸素になったらかなりツライ。仕方ないのでそのまま進むが、それ以降、流量調節器が調子悪いのではないかと心配しながら登った。時間は10時を過ぎただろうか。無線でABCのディネッシュが状況を知らせる様呼んでいる。もうそろそろ頂上に着いていないと危険な時間だからだ。しかし無線機を持つ皆が、ディネッシュの呼びかけには答えようとせずに登り続けた。三角雪田を登って少し登ると少し先に頂上が見えた。頂上の少し手前で振り返ると、皆がちょっと遅れている。待とうと思って斜面に座り込んだら、円藤さんも座ってしまった。皆余裕がないのだろう。その後、ゆっくりと頂上に向かって歩いては振り返る。山頂はすぐそこだが、やはり一人の山頂は嫌だ。北嶋さんを大きく手招きして、早く来るように促す。やがて北嶋さんがそばまで近づいてきた。そして登頂。北嶋さんと感激の握手、抱擁。ザックを下ろして雪に刺したピッケルで落ちないようにし、写真を撮り始めた。残念ながら、山頂のネパール側には雲が上がってきていて、視界は無かった。北側を見ると、はるか下にチャンツェ、東ロンブク氷河が広がり、氷河の出合の向こうにBCも見える。1ヶ月以上かけて、あそこから来たと思うと感無量だった。気圧計を見ると、339hPa。ちょうど地上の1/3位だ。皆を待ったり写真を撮っていたら、いつの間にか僕は50分近く山頂にとどまっていた。  

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