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ぬるっと関西/京都編 (19)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月22日(日)13時05分2秒
返信・引用 編集済
  > この薦被りにはお酒が入っているのですかね。下司の勘繰りです…(^_^)

菰の色褪せ具合から考えて、それは無いかと思いますが、案外「ビンテージ」ものが
夫々入っており「この酒は、松尾大社に○○年抱かれて熟成した超レアものです」と
売り出したら、引く手数多かも知れません(^^)

============================================================================

南側を除く三方を、山に囲まれた京都盆地にあって、西側に山を抱える松尾界隈では、
一応「東山」「北山」に対応して「西山」という地域呼称を用いる事もある様ですが、
洛中とは桂川を隔てた土地柄ゆえか、我ら坂東武者には今ひとつ馴染みがありません。

いよいよ陽が傾き、境内の大半が陰って来ました。さて、酒神の御加護を頂いた処で、
そろそろ洛中の居酒屋に赴くとしましょう。
 

紀伊勝浦港の風景

 投稿者:孫右衛門  投稿日:2009年11月22日(日)11時27分50秒
返信・引用
  周囲の木々も晩秋の装いとなって参りましたね。
先週、紀伊半島南部に出張がありまして、那智勝浦の港近くに泊りました。温泉に入ることも無くビジネスホテルへの宿泊で全く味気ないものでしたが夜は名物マグロ料理を味わうことが出来ました。
朝の風景から。ここは湾の中の島に大型観光旅館があり、港に船が着くたびに旅行客などで賑っていました。
付近では仕入れたマグロを店内に運び入れている風景もありました。

http://www8.ocn.ne.jp/~kyosyu/

 

ぬるっと関西/京都編 (19)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月21日(土)07時40分25秒
返信・引用 編集済
  > 松尾大社と言えば日本第一の酒造神。酒の神様ですよね…

その様ですね。ここを氏神としたのが、大陸から酒造技術をも齎したとされる渡来人・
秦氏と聞けば納得です。酒の神様に相応しく、境内にはこの様な「占い」もあります。
酒好きには目移りする陣容ですが、大吉を当てた場合、好みの銘柄で一升瓶の一本も
頂けるのでしょうか(ゴックン)
 
    (Hitosh) この薦被りにはお酒が入っているのですかね。
下司の勘繰りです・・・・(^_^)
 

ぬるっと関西/京都編 (18)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月20日(金)08時06分37秒
返信・引用 編集済
  > 明治15年、京都の蕎麦屋「松葉」の 2代目が考案して人気を呼んだのが始まりとか。

現在でこそ定番メニューですが、当事としては、さぞ斬新な感覚だった事でしょうね。
久々に食べましたが、本当に美味でした。汁については、関東よりは醤油味が薄いと
言われる関西の傾向を考慮してなお、鰊を活かす為か、味付けが控え目な印象でした。

============================================================================

ひとまず洛中に戻るべく阪急電車に乗車。隣駅に到着直前、赤い大鳥居が見えました。
そうだ、松尾大社があったか。済みません、降ります降ります(^^)参道はこの様な
幟がズラリ。神社にとって、商機としての「七五三」がいかに大きな意味を持つかが
良く判りますね。
 
    (Hitosh) おや、流石ですね・・・(^_^)
夕方の飲み会の前に、松尾大社参詣とは、頭が下がります。

松尾大社と言えば日本第一の酒造神。
酒の神様ですよね・・・
 

ぬるっと関西/京都編 (17)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月19日(木)07時56分52秒
返信・引用 編集済
  > 1枚目の写真に写っている「京渡物語」は、如何にも京都らしいです。

過去ログを改めると、昨年11月22日付で同じ場所を写しており、Hitoshさんがやはり
好感されていますね。あの時の「赤い相合傘」は、今回はありませんでしたが。

> ここで着物を借りて、奥様とこの辺を散策されるのも乙なもんでしょう…ね(^_^)

………鋭いですね。実は下段画像の橋では、阪急嵐山駅方面から歩いて来た和服姿の
御嬢さんの一団が屯しており、なかなか華やいだ雰囲気だったのです。

一通り嵐山界隈を楽しんだ処で、渡月橋の袂に戻り、名物「鰊ソバ」で腹ごしらえと
行きましょう。夕方の知人との飲み会まで、もう少し時間があります。さて、今度は
何処に寄ろうかな………
 
    (Hitosh) この京都名物の鰊蕎麦は、昔から続いているかと思いましたら
違うのですね。

明治15年、京都の蕎麦屋「松葉」の2代目が考案して
人気を呼んだのが始まりとか。

今では、すっかり全国の蕎麦屋の
定番メニューの一つになっているようです・・・
 

ぬるっと関西/京都編 (16)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月18日(水)07時35分18秒
返信・引用 編集済
  > あれ、また保津川下りですか。優雅ですね…(^_^)

今回も好天に恵まれ、すっかり「十八番の風景」となりました。乗客を降ろした舟は、
嵐山公園(中之島地区)を擁する中州の南側を流れる、大堰川(おおいがわ/本来は
南丹から亀岡にかけての桂川の通称だそうです)に入ります。中段の画像にある様に、
上段画像の橋の下流側にある舟溜りで、起重機を用いて舟をトラックに積載、舟下り
出発地となる亀岡に搬送する様ですね。

経路となる国道九号線「老ノ坂峠」では、分水界の辺りに宅地や霊園があり、渋滞が
発生しやすい事情も窺え、行楽期の舟の遣り繰りには、御苦労がありそうです。なお、
舟をトラック回送する間に、船頭さん達は山陰線で亀岡に移動するとの事。

京都盆地と亀岡盆地を隔てる「袋の締り口」とも言える同峠の慢性的な渋滞の緩和に
資した「京都縦貫道」が開通したのは、1988年。一方、流路が国道とは完全に異なる
保津峡で、山陰線が電化複線の高規格線に移行したのが翌89年。そう考えると(昨年
11月06日付の掲出画像で示した、保津峡が開けた先の宅地に象徴される様に)亀岡が
京都都市圏としての性格を強めたのは、1990年代以降の事ではないか、と想像します。
 
    (Hitosh) 保津川下りの、舞台裏ですね。

1枚目の写真に写っている「京渡物語」は、如何にも
京都らしいです。

ここで着物を借りて、奥様とこの辺を散策されるのも
乙なもんでしょう・・・ね (^_^)
 

ぬるっと関西/京都編 (15)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月17日(火)07時50分49秒
返信・引用 編集済
  > 八幡宮は全国で 2万5千もあるのですね。

近江八幡や八幡浜など、全国に分布する「八幡」の地名も、八幡宮の所在や八幡神に
少なからず関係しているのでしょうね。もっとも、北九州市八幡東西区の前身である
旧八幡市域において、自治体名に「八幡」が登場するのは、1889年の合併の時らしく、
神仏由来と推定するには、やや「後発気味」か、とも感じます。

============================================================================

週末ゆえか「保津川下り」は、結構な頻度で続行しており、右京区側にある船着場は、
下船客で大盛況。この辺りは、高級料亭と思しきが固まっており、先月「ミシュラン
ガイド 京都大阪 2010」で栄光の「三つ星」を獲得した店も含まれています。もしや、
下船した皆様は、かかる場所でこれから会食かと、指を咥えて眺めていました(^^)
 
    (Hitosh) あれ、また保津川下りですか。
優雅ですね・・・(^_^)

3枚目の写真は、なかなかです。
 

ぬるっと関西/京都編 (14)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月16日(月)07時59分2秒
返信・引用 編集済
  > 全国八幡宮の総本宮の宇佐神宮にあるんですね。

祭神である八幡神は元々、大和から同地に移った、あるいは、歴史的に大和と関係が
深かった大神氏(近所の日出町域にある「大神」駅は、関連があるのでしょうか)の
氏神だったとか。奈良時代に道鏡が皇位継承を謀った「神託事件」にも登場する辺り、
古来より、かなりの権威があった事が窺えます。

ローマ字表記に託け、市内企業が 自社製品を輸出する際「MADE IN USA」と表記して
物議を醸したという逸話もある宇佐市ですが(^^)2005年には難読自治体「安心院/
あじむ」町が合流するなど、興味深い語呂が散見されます。

国東半島基部の山越えを控え、普通列車の本数が大きく一段落する市代表駅・宇佐は、
中心部の四日市地区と豊後高田市街の折衷的立地ですが、四日市地区への玄関機能は、
むしろ甲子園の常連校で御馴染み、柳ヶ浦駅の方が大きい様です。

駅館川架橋に手間取ったか、明治末期の約十年、終着「宇佐」を名乗った柳ヶ浦駅は、
旧海軍航空隊が近接していた事もあってか構内は宇佐駅より広く、特急の停車頻度も
拮抗している様です。人口約六万の自治体で特急停車駅が分散するのも珍しいですね。

以上、肝心の渡月橋で然したるコメントが無いので、宇佐の話題に感けました(^^)
 
    (Hitosh) それでは続いて、宇佐・・
この地名も気になります(^_^)

昔は「菟狭」だったんですね。そして「宇沙」。
日本書紀に出てくる地名だったとは知らなかったです。

八幡宮は全国で2万5千もあるのですね。
御家人たちが武家の主護神として
自分の領内に勧請した経緯が大きい様ですね。
 

ぬるっと関西/京都編 (13)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月15日(日)16時26分45秒
返信・引用 編集済
  > 調べてみますと、奈良の「猿沢の池」と大分の「初沢の池」だそうです。

猿沢は、北山を背後に控えた広沢に比べて、街中の印象が強いですね。それにしても、
地図を改めると、灌漑対策なのか、奈良盆地には小規模池沼が多い印象です。初沢は
宇佐八幡宮にあるのですね。本殿の画像を拝見すると、先に紹介した賀茂御祖神社に
比する程の荘厳さを感じます。

嵯峨野界隈には珍しい高架橋を経由し、清滝道三条交差点で、桂川の河川敷に出ます。
道路地図を見ると、そのまま桂川を渡り、物集女街道にスルー可能とすれば、桂川の
架橋頻度に鑑みても良さそうに思いますが、天下の風致地区「嵐山」界隈とあっては、
交通導線本位という訳にも行かないかも知れません。

嵯峨野は一年振りの再訪ですが、私にとって温泉宿の刺身の如く、ここを語らずして
京都を語る勿れ、という感覚です(^^)上記の交差点から遠望する構図が、渡月橋の
紹介写真としては定番ですね。山陰線「嵯峨嵐山駅」や京福電鉄「嵐山駅」よろしく、
渡月橋北側の右京区域も「嵐山」と捉えがちですが、背後に西京区域の嵐山を擁する
この構図こそ、渡月橋と嵐山の正しいあり方なのかも知れません(^^)
 
    (Hitosh) この光景は、何度見てもロマンを感じますね。

初沢池、気になり調べてみました。
全国八幡宮の総本宮の宇佐神宮にあるんですね。
初沢池にも、古代ハスが育てられているとか。
ロマンを感じます・・・
 

ぬるっと関西/京都編 (12)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月14日(土)10時40分12秒
返信・引用 編集済
  > 朝暗いうちに家を出て、日の出号で、はるばるやってきました。

懐かしい列車名ですね。姉妹列車に、小学生用「なかよし」中学生用「友情」そして
高校生用「わこうど」もありました。近鉄でも「あおぞら」が御馴染みでしたね。

中学時代の修学旅行は、他校との集約列車やバスで、伊勢・奈良・京都を回りました。
常磐線は、当事既に珍しくなりつつあった機関車牽引の編成が、イカニモでしたっけ。
京都訪問は終盤でしたが、連夜の騒ぎもあり、級友の大半は疲労困憊の末にバスでは
昼寝三昧。行程消化に終始しがちな修学旅行に「風雅」を求めるのは先ず無理として、
古都の風情を落ち着いて味わえたのは、実は昨年が初めてで「京都を本気で見るなら
一週間は必要」という旅好きの知人の指摘は、この齢にして至言と感じます。

============================================================================

竜安寺、仁和寺と京都市街北縁を横切る「きぬかけの道」を西進します。この名前は、
宇多天皇(867〜931年)が、夏に雪山を見たがり、衣笠山に白絹を掛けたとの故事に
因んだものらしく、事実なら、高価な絹を相当量用いた筈で、物凄い経費でしょうね。

地形が開けると、広沢池が広がります。元々は、平安時代の庭池が起源だそうですが
溜池起源説もあるそうな。タクシーの運転手さん曰く、紅葉の時期に西日に映えると、
筆舌に尽くし難い美しさとの事。見たいですねぇ………
 
    (Hitosh) 未だ紅葉には早かったようですね。
一寸残念でした。

北嵯峨の名所・広沢池って、
日本3沢の一つと言われているようですね。
調べてみますと、奈良の「猿沢の池」と大分の「初沢の池」
だそうです。

初沢の池は、行ったことがありません。
 

ぬるっと関西/京都編 (11)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月13日(金)07時50分51秒
返信・引用 編集済
  > 1枚目の写真(中略)何でも、西園寺家の守り神であったとか。

欝蒼とした森と池を擁し、白蛇が化けて出て来ても不思議ではない雰囲気も感じます。
その化身が 白装束に身を包んだ美女だったりすると、ちょっと嬉しいのですが(^^)

> 2枚目は、夕桂亭と読めます。粋なネーミングですね。

夕陽に映える金閣の佳さに因んだ命名だそうです。この位置関係ですと、逆光気味と
思うのですけどね。平成改元後に解体修理が行われた為、建物が新しく感じられます。

> 3枚目は…

順路途中に潜った塀です。周辺が中々良い雰囲気でしたので、何となく一枚。

============================================================================

その先の不動堂は、土産物店が隣接して軒を連ねている関係上、修学旅行生で異様に
混雑していたので、写真撮影を断念。出口となる山門から続く参道は、紅葉の際には
素晴らしい眺めとなるであろう雰囲気が、感じられました。表通りでタクシーを拾い、
今度は西を目指します。
 
    (Hitosh) 修学旅行と言えば、高校の時が京都でした。

朝暗いうちに家を出て、日の出号で、はるばるやってきました。
遠い昔のことです・・・

あれから何年経ったのだろう。
あれから何回来たのだろう、京都は。

車で来たときもそうでしたが、
一番印象的だったのは、やはり、日本橋から旧東海道を歩いて
京都に辿り着いた時でした。

この時は涙が出そうなほど、感動しました。
 

ぬるっと関西/京都編 (11)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月12日(木)10時40分2秒
返信・引用 編集済
  ▼りぃーさん:
> 私事ですが、先日愛猫が亡くなって凹む毎日…

それは御愁傷様でした。我が実家では、十数年来の愛犬が、天寿を全うして先日他界。
途端に野良猫の跋扈が目立つ様になり、自然界の掟を改めて実感しますね。

▼Hieosh様:
> 銀閣寺は、金箔に対し銀箔と思っておりましたが、実際は黒漆なんですね…

従前「元々は銀箔を貼る予定が、財政上の制約で出来ず終い」と聞きましたが「わび・
さび」に象徴される東山文化の趣旨を考えると、実際に、銀箔を貼ろうとした形跡が
無い事に鑑みても、当初から、その様な意図が無かった、という見方もある様ですね。
そうなると「銀閣」の命名は単に「金閣」との対義感覚でしょうか。

ちなみに我が入洛期間中、銀閣では大規模な改装工事中と聞き、見物は見送りました。

> 慈照寺(銀閣寺)と言えば、甲斐市にもありますね。

創建時期は不明ながら、少なくとも室町時代には、存在していた様ですね。所在地の
旧自治体名「竜王」は、同寺より湧出する「竜王水」に由来するとの説がある様です。

竜王町が甲斐市に発展解消した翌年(2005年)には「甲州市」が発足し、従前からの
甲府市や山梨市も含めると、具体的な地域の特定が難しい自治体名が甲府盆地界隈に
集中した印象です。我が地元の「日立、常陸太田、常陸大宮、ひたちなか、那珂」の
各市についても、水戸周辺に類似の市名が集中し、判り難いとの指摘がある様ですね。
 
    (Hitosh) 1枚目の写真、可愛らしい石仏に、中央奥に白蛇の塚が見えますね。
何でも、西園寺家の守り神であったとか。

2枚目は、夕佳亭と読めます。
粋なネーミングですね。

3枚目は・・・
 

◆大阪・御堂筋

 投稿者:りぃー  投稿日:2009年11月10日(火)21時10分5秒
返信・引用
  Hitoshさん、こんばんは。 御無沙汰してます。

昨日の御堂筋イチョウ並木です、黄葉は毎年12月が一番きれいですよ。
(撮影:本町2丁目付近)

ところで、また新たにブログを開設されるんですか?そんな兆候を確認しましたので
・・そうでしたら楽しみにしております。

私事ですが、先日愛猫が亡くなって凹む毎日・・気を取り直し日本写真紀行へ投稿して
元気になりたい気持ちです。

http://blogs.yahoo.co.jp/bookone54

 
    (Hitosh) 今晩は
御堂筋の銀杏、黄葉はこれからですね。
また、旬の写真、期待してお待ちしております(^_^)

新ブログ、いや、今の所開設するつもりはありません・・・

あれ、リィーちゃん、亡くなられたのですか。
それは、ご愁傷様です。
写真で、私も大分癒されておりましただけに、残念です。
 

ぬるっと関西/京都編 (10)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月10日(火)08時59分27秒
返信・引用 編集済
  > 金閣は、全く隙がありません…(^_^)鏡湖池に写る姿も絵になっております。

足利義満が、事実上の政権中枢として誇示した権勢振りの象徴なのでしょうね。

これに肖り銀閣を建てた孫の足利義政は、正室の実家である日野家や有力守護大名の
介入もあって、政治を主導できない反動から、専ら風流を嗜み、職責に対し気紛れで
優柔不断に終始し「応仁の乱」の発生と長期化、更には幕府の形骸化と下克上の風潮、
延いては戦国時代の前史を齎しています。そう考えると、建立から僅か60余年後には
奥州藤原氏が滅ぼされた、中尊寺の金色堂よろしく、壮麗ゆえの儚さすら感じますね。
 
    (Hitosh) 東山文化を代表する寺院である銀閣寺は、
金箔に対し銀箔と思っておりましたが
実際は黒漆なんですね・・・

慈照寺(銀閣寺)と言えば、甲斐市にもありますね。
 

ぬるっと関西/京都編 (09)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月 9日(月)08時13分16秒
返信・引用 編集済
  > 21歳の学僧の放火事件はショッキングでした。

自殺未遂で一命を取りとめた学僧が、数年後に収容先にて病死するまでの間、真相は
結局、明らかにされず終いだった様です。三島由紀夫の小説では、劣等感や厭世観に
苛まれていた学僧の「美の象徴」たる金閣に対する反感を、犯行の動機とする前提が
窺えますが、その金閣も犯行直前は金箔が剥げた状態だったらしく、図らずも事件が
金閣本来の華やかな美を復元する契機になったのですね。

30年振りの金閣は、晴天も相まって、浮世離れする程に豪奢な雰囲気でした。余りに
修学旅行生が多く、スナップ写真の順番待ちで、撮影に手間取りましたが、鏡池との
位置関係において、常に落ち着いた構図が得られるのは、有り難い限り。一方、昨年
訪れた天龍寺の庭園や小倉池と同様、池の澱み具合は、如何ともし難いですね。
 
    (Hitosh) 綺麗ですね。
金閣は、全く隙がありません・・・(^_^)

鏡湖池に写る姿も絵になっております。
 

ぬるっと関西/京都編 (08)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月 8日(日)09時44分39秒
返信・引用 編集済
  > ここの送り火は、鴨川の土手からも見えますね。

一昨年夏「NHKスペシャル」特集の際は、洛北高の屋上から中継しました。主要な
官立高校への合格者数が全国一となった事もある日本最古の旧制中学系の老舗からの
放映は、然もありなんですね。もっとも、終戦後は、日本最古の旧制高女を継承した
鴨沂(おうき)高校への集約を以て一旦閉校されており、旧制との決別を趣旨とする
当事の風潮が窺える様でもあります。ちなみに、京都二中を継承する鳥羽高の場合は、
1948〜84年の永きに渡り、朱雀高(府立第二高女系)の分校扱いでした。

この時の放映で、送り火が時間差点灯である事、長崎「精霊流し」よろしく、死者の
霊を彼岸の地に送り出すのが、本来の趣旨である事を知り、送り火を見届けた直後に
亡くなった若年女性の家族の手記には、色々と考えさせられました。

============================================================================

次は、大文字山麓の鹿苑寺です。足利義満の印象が強いのですが、元々は、藤原氏の
流れを汲む西園寺氏始祖が建立したもの。後醍醐天皇暗殺計画の嫌疑で西園寺公宗が
処刑され、没収されて荒廃した建物を義満が取得、一大改装を施した経緯があるとか。

明治時代末期に首相を務めた西園寺公望は同家の子孫で、政敵から、公宗の不祥事を
度々、中傷の材料に利用された様ですが、公望自身は上級公家・徳大寺家の出身です。
同窓会の大先輩に「間違いだらけのクルマ選び」で一世を風靡した徳大寺姓の自動車
評論家がいらっしゃいますが、これは「偉そうな印象」で名付けたペンネームとの事。
 
    (Hitosh) おや、金閣寺(通称)ですね・・

21歳の学僧の放火事件はショッキングでした。
本人はすぐ自殺したようですが、母も取り調べの後
保津峡で投身自殺をしたとか。

三島由紀夫の「金閣寺」や、水上勉の「五番町夕霧楼」等
でも話題を呼びました。

現在の金閣は、それはそれは綺麗です・・・ね(^_^)
 

ぬるっと関西/京都編 (07)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月 7日(土)09時57分1秒
返信・引用 編集済
  > 鴨川というと、夏の納涼床の方を思い出します(^_^)

御意。一度は試したい風物詩ですね。納涼床が設定されるのは、二条〜五条の西岸と
記憶しますが、1987年以前の三条以南ですと、地上区間だった京阪線の電車が対岸を
往来する様子も楽しめた訳で、なぜ学生時代、実践しなかったのか、悔やまれますね。

============================================================================

時間の都合で賀茂御祖神社を早々に切り上げ、今出川通を西進します。御所を過ぎて、
広大な社森や鳥居が見えると「学問の神様」北野天満宮です。御利益に肖らんとする
修学旅行生と思しき子供達が目立ちますが、ただでさえ繁忙期のこの時期に、春先の
インフルエンザ騒動の皺寄せが加わり、洛中では制服姿の中・高生が溢れていました。

嵐山電鉄北野白梅町駅前の交差点から、西大路を北上します。ターミナル駅としては
立地上の必然性があまり感じられない同駅ですが、これは以東区間を、後年開業した
京都市電の路線に譲渡した為だそうで、これとは別に西大路通沿いの軌道(1978年に
市電が全廃された際、最後まで残った区間のひとつ)も接続していました。

駅名の「北野白梅」と対を成す様に、隣接して「北野紅梅町」の住居表示もあります。
白梅に紅梅と来れば、次は「塩梅」「狼狽」かなと、他愛も無い事を考えている内に、
前方に「五山送り火」の大文字山が見えて来ました。
 
    (Hitosh) 大文字山が正面ですね。
火床が、はっきり見えます。

ここの送り火は、鴨川の土手からも見えますね。
と、つい夜の鴨川を連想してしまいます(・_・、)
 

ぬるっと関西/京都編 (06)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月 6日(金)08時21分34秒
返信・引用 編集済
  > 上賀茂神社と行われる葵祭が思い起こされます。

対を成す社名における「賀茂」と「鴨」との違いは、福島県の東白川郡と西白河郡に
通じるものを感じます。葵祭といえば、神社近所の賀茂川には「葵橋」がありまして、
上段画像にある様に、上流方向は、中々良い感じの眺めです。すぐ下流側で合流する
高野川を 河合橋(?)から眺めたのが下段画像で、雰囲気はだいぶ異なりますね。

地図表記を見ると、賀茂川と高野川がY字型に合流して「鴨川」と改称する様ですね。
一方、河川法では賀茂川上流の山間部(北区雲ヶ畑地区)から「鴨川」と定義されて
いるそうです。嗚呼、ややこしや………
 
    (Hitosh) なかなか良い眺めですね。

この鴨(賀茂)川は、京都盆地への谷口一帯を
本拠地としていた、賀茂氏に由来するようですね。

鴨川というと、夏の納涼床の方を思い出します(^_^)
 

ぬるっと関西/京都編 (05)

 投稿者:雑魚  投稿日:2009年11月 4日(水)12時16分44秒
返信・引用 編集済
  > 2枚目が北小路門、とすると 3枚目は?

確か、烏丸通と花屋町通との交差点の直前にある門(詳細不明)だったと記憶します。

約十分後に「御客さん、こんなんでどうでっしゃろ?」と案内されたのは、左京区の
賀茂御祖(みおや)神社でした。洛中にあって原生林が残る「糺(ただす)の森」を
貫く長い参道の末、この様な鳥居や門が佇む様子は、確かに、タクシー運転手さんの
眼鏡に適うだけの事はありますね。有難や、有難や(柏手)

全国各地の神社で奉られ、JFAのシンボル・マークでもある「八咫(やた)烏」は、
同社を氏神とする賀茂氏の始祖の化身とされ、鴨長明や賀茂真淵も、一族の出身とか。
同氏は陰陽師の宗家でもあり、映画やTVドラマで御馴染み「安倍晴明」は、同家の
門下生だそうです。かなりの名門なのですね。
 
    (Hitosh) おや、これは有名な下鴨神社ですね。
正しくは、賀茂御祖神社と言うんですね(・_・、)

京都の社寺の中では最も古い部類に入るとか。
紀元前からとは、歴史が違いますね・・

上賀茂神社と行われる葵祭が思い起こされます。
 

懐古園・紅葉

 投稿者:YSK  投稿日:2009年11月 3日(火)21時42分32秒
返信・引用
  お久しぶりです。今年一番の寒気が入り、関東北部の山々でも初雪となった
場所があったようですが、いかがお過ごしでしょうか。

さて、寒気が入る前、いい陽気に恵まれた1日に、小諸市の懐古園(小諸城跡)
で撮影した紅葉がたいへん素晴らしかったので、ご紹介いたします。さくらの
名所100選のひとつである懐古園は、紅葉の名所としても知られています。
まだ十分に色づいていない木もありましたので、もう少し見頃は続くものと
思われます。
 
    (Hitosh) これは見事な紅葉ですね。
素晴らしい写真、ありがとうございます。

こちらは、急に寒くなりました。
昨夜は木枯らし1号とラジオで言っていました。

でも、紅葉は未だ未だ、先のようです・・・
 

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